定年退職した人の話しを聞いて思うこと
いとまるです。
近い親戚に定年退職を迎えた人がいて、その生活等々を聞いて思うことを今日はつらつら書いていこうと思う。
先に定年退職と言ったが、厳密には早期退職だった。
早期退職になると失業保険が給付されたり、優遇された早期退職になるので、普通に定年退職するのともらえる金額に差はないらしい。
(だいぶ前に聞いた話しなのでかなりうろ覚え)
もらえるお金が変わらないならと、その人は早期退職を選んだ。
それが1年ぐらい前の話しになるが、最近になって聞いた話しでは週2、3日のバイトでもしようかと話しているという。
理由を聞くと「失業保険の給付がそろそろ終わりを迎えるので、それに変わる収入がほしい」とかなんとか。
お金に困っている感じはしないが、貯蓄や年金だけでは心許ないのだろう。
本心は知りようもないが、働くことを選ぶというのはそういうことだと思う。
長く努めていた会社であれば、それまで蓄積している経験だったり人脈だったりが活かせるだろうが、新しい職場ではまた1からリスタート。
60歳を超えてやるそれをやる大変さは想像に難くない。
それを聞いて思ったのは、「お疲れ様。今後はゆっくりしてくださいね。」という意味での定年退職の時代ではないということだ。
現代の定年退職とは「強制的な独立」だ。
サラリーマンを長く勤め上げ、独立させられた人が働けるところなんて限られている。
よほどの実績があるとかなければ、レジ打ちとかだろう。
その妥協して選んだ仕事でさえ、高校生のバイトのほうが仕事がデキるという辛い現実が待ち構えてる。
他の親戚筋からは定年を迎えるので個人で開業しようと動いているらしいが、あまり熱量が感じられないのでどうなるやら。
サラリーマンをしていると10歳上くらいの人だったら、よく話すのでどういう生活スタイルとか輪郭がクリアに想像できるが、50、60歳となるとボヤケていた。
最近になってそういった年代の話しが聞こえてくるようになり、考えているのが「独立の時期」。
サラリーマンとして安定()した生活をただ漠然と過ごし定年を待ってもそこには自由はなく、むしろより厳しい世界に放り込まれる。
それならエネルギーがある若いうちに独立して生計を立てることを模索したほうがいいのでは?と考える。
酸いも甘いも噛み分ける年配者に話しを聞くと、学ぶことは多いが、それを素直に受け入れる度量があるかはまた別問題。
ではまた。